カラダの関係を持つだけでは幸せになれないー心と身体はつながっている

性暴力やセクハラは、社会的な問題となっています。

このような問題の本質は、関係が一方的で無理矢理なところ。
人として尊重する気持ちからされる対応ではないから反発があって当たり前のことです。
人の心の奥には、自分は価値ある大切な存在であると刻み込まれているからですね。

身体の関係だけを持っても虚しいということ、
身体を大切にすることによって得られるもの、
身体の関係を伴う結婚が人を幸せにするとき…

これらのことについて、考えてみたいと思います。

身体を侵しても、決して奪えない心

身体の関係をたくさんの人と持つことが楽しく、そのためにテクニックを用いていく人がいます。

一時的には、人に触れることが出来るし、人は価値ある存在だからこそ、その一部を共有することによる楽しさも感じることができます。

けれど、それは一部だけ、です。

たとえば車を買うという時に、ドアだけを手に入れても車としての機能を得ることはできません。

一部を手に入れて喜んでいる人が滑稽なのは、明らかなことですね。
これが一部だなんて知らなかったと言うことすら、はばかられる明らかな事実だからです。

むしろ、そのような行為によって、自分の価値をおとしてしまいます。

そもそも、欠けのある行為で得られるものに価値を感じる人というのは、自分の価値が分かっていない可能性があります。
人は本当はもっと素晴らしい関係を築けるということを知りません、自分は人の一部だけを手に入れることしか出来ない人間です、と表明しているようなものです。

車全体を手に入れられる人がドアだけを手に入れるなどということはないですね。

大事なのは、心と身体はつながっていて、人はその2つそろって尊いという意識。

身体だけの関係など、ありません。
どんなに心がここにないと思い込もうとしても、心はすべての情報を持ったまま、身体と共に歩んでいます。

身体を抱く事だけによって、相手の心は手に入りません。
だから、「人恋しい」と、関係を持っても満たされないのです。
心の無い人などいないから。人は手に入っていないのだから。

抱かれる側も、誰にでも手に入れられるような人との関係に対しては、価値を感じることが出来ません。
手に入れられないものであればあるほど、価値あるものとなっていきます。

自分の価値が分からない人は、自分の愛の価値も分かりません。
本当に人と愛し合うことが出来ません。
自分や、身近な人を、本当に大切な存在とすることが出来ないという事は、世界の価値も分かりません。

本当に大切なものを持っている人は、それらのある世界を良くしようと願います。
その世界に、身体だけという虚しいものを持ち込もうと考えません。

結局、身体だけの関係を続けられる人は、自分の価値を知らない人だけなので、お互いにそれ以上の関係の築き方を知らず、いつまでも抜け出せないという事になりかねないのです。

結婚前に身体をゆるさない事によって得られるもの

「身体をゆるさない」というと、女性に向けた話と思われがちですが、女性だけの話ではありません。

一度にたくさんの女性を抱いた時、あなたは、あなたの腕を、誰かをどんなに抱きしめても、たった一人の女性をも心の底からは安心させる事のできない腕にしました

自分の意思で、そうしたのなら大丈夫。
そういう存在になりたかったのなら、それでいいのです。

けれど、それが本心ではないならー

本当は、たった一人の女性の心に、あなたの腕によって包むことで、何にも代えられない安心を与えられる力を持ちたかったならー
どんな場所にいても、彼がいるから幸せだ・安心だという喜びで包んであげたかったならー

もう2度とそんなことをしてはいけないのです。

あなたには、その力があるのだから。
素晴らしい男性なのだから。
あなたに出来るのは、もっともっとすごいことなのだから。

裏切ってはいけないのは、あなたの心なのです。

あなたの腕にある本当の力を損なってしまうのは、とても残念な事なのです。

女性は、あなたの心も欲しいものです。
その心が、すべての情報を持っている。
その心を贈り物にした時、本当に女性を喜ばせることの出来るものですか?

心の底から女性を喜ばせる時、幸せになるのは、男性の方ではないでしょうか。

その喜びを最上の状態で味わってみたいのなら、男性は自分の身体のことも大切にしなければならないのです。

代え難くもなんともない関係に身を委ねることは、自分を代え難くもない存在におとしめることだからです。

知っていてやっている人は、止める必要がありません。
どちらを選ぶことも、自由です。

でももし、知らないまま大勢と関係を持つことが幸せだと思い込んでいたのなら、今日から考え直してください。

身体の関係を持ったことがない、というのは、恥ずかしくもなんともないこと。

あなたを待っている人がいるのなら、あなたの心と身体全てから与えられる愛を期待している人がいるのなら、磨いて磨いて、大切に守って守って行くことに、意味があるのが分かりますね。

つまり、結婚前に身体をゆるさない方が良いという本当の意味は、その方が幸せになれるからなのです。

物でも、お金でも、気持ちのこもった贈り物であると感じられるほど、価値を感じます。

誰かが、自分だけのために、意思を持って守り通してきたものを全て捧げてくれる時-
心の底から感謝の気持ちが湧いてきますね。
そのようなものを大切にしたいと思うのが、人間なのです。

子どもを迎える準備が出来ていないというだけでは説明しきれない本当の理由はこれです。

本当の意味で一人の人を愛していくということ

結婚の誓いは、縛るためにあるといえますが、それはネガティブなことではありません。

心の底から自分のことを大切に思っている人同士が、その価値ある愛で愛そうと決めた人との間に「契約」を交わすのが、結婚です。

これは意思の問題です。

自分の意思を表明しているという事です。
その決意をしたということを、公に表明することが結婚です。
それを、書面にするのです。
皆に知らせるのです。

だからこそ、価値がある。

結婚を紙切れだけのことと言う事の出来る人は、こういった本当の意味を知らない人です。

誰でも良くない、
異性ならいいとも言えない、
価値ある自分が自分の意思で選んだ、
尊いたった一人の人。

だからこそ、たとえ相手が事故に遭って身動きが取れなくなっても愛します。
自分の意思で選んだ人だから、本当に大切なものだから、弱さがあっても助けようとします。
そして、そのような相手に選ばれたという事も、最上の喜びをもたらします。

逆に、相手が自分を人として尊重することを放棄し始めたら、傷つけたり暴言を浴びせたり、権利を奪ったり存在を軽んじたりするようなことを始めたとしたら、愛するという契約を無効にするような行為となり、離婚が相応しい状態となってしまうわけです。
結婚をする段階で、お互いの大切さを本当に分かっていたらすぐに気が付くことですね。

形を整えることが結婚ではありません。
心が大切なのです。

だからこそ、意思を持って身体も大切にすることに意味があるのです。
自分を誤魔化さない意味がある。
それだけ大事にしてきた自分だからこそ、大事にされるべきと思えるようになるからです。

そして、本当は全ての人が、そのように尊重されるべき存在なのです。

さて、この話を大きな声で言う人が少ないのは、もう知らない間に勝手に傷つけられている人がたくさんいるからというのもありますね。

けれど、諦めなくてもいいことです。

これまでの出来事のために、諦めなくてもいい

旧約聖書に出てくるダビデ王は、勇気と力と知恵のある王であると同時に、姦淫の罪を犯した王として有名です。

部下の妻を見初めて関係を持ち、妊娠させてしまったため、戦争に出ている夫を呼び戻して妻と関係を持たせて逃れようと画策しました。
けれど、夫は仲間が戦っている中自分だけ妻のところに帰るわけにはいかないと拒みます。
焦った王は、夫を最前線に送り、彼だけを取り残すよう部下に命令しました。夫が死んだことを確認したあとに未亡人となった妻を召し入れて自分の妻にし、形だけは正しそうな状態に整えました。
罪を隠そうとした上に、殺人まで犯してしまうという体たらくです。

結局預言者に追求されてしまいます。

富んだ人と貧しい人がいました。

富んだ人は非常に多くの牛と羊を持っていますが、貧しい人は、自分で買ってきて育てたメスの子羊一頭しか持っていません。
子羊は貧しい人の子どもと一緒に暮らし、一緒にご飯を食べて一緒に眠り、娘のように大切にされていました。

ある時、富んだ人の所にお客さんが来ました。
富んだ人は、自分の持ち物を惜しみ、貧しい人の子羊を取り上げてお客さんのために調理しました。

王は言います。
そんなことをした男は死刑だ。あわれみの心もない。子羊を4倍にして返さなければいけない

預言者は言います。
あなたがその男です。

自分のしたことの報いとして、迎え入れた妻との間に出来た、王の子どもは病気になって死にました。

そんな王を、神はゆるします。
王が「悔いた」あとに、ゆるします。
王が知らないうちにゆるしても意味がないからですね。
同じ妻との間に次に生まれた子は、神に愛され次の王とされました。
この話からも、したことの報いは受けるけれど、心で出来事に向き合う事には意味があるのが分かります。

そして、聖書に書かれているゆるしは、徹底的です。
「わたしは、決して彼らの罪と不法を思い出すことはしない」と書かれています。

これまで経験してきたことで、自分は汚れてしまったから、何をしてもムダ、意味がない、価値がないー

そんな風に感じてしまいそうになりますね。

けれど、「決して思い出すことはしない」。

最早、なかったことではありませんか。

人は、誤魔化さずに過去と向き合う時、これほどまでに自由になる事が出来る。
驚くべき希望です。

魔法みたいな話ですが、これは実際に体験出来ることなのです。

形だけを整えても、安心できないのが人間です。
心が全ての情報を持っているからですね。
取り繕っているのを誰よりも知っているのは自分なのです。

けれど…心は、不思議なもの。
命ある人の身体と同じように、柔軟です。

たしかに犯した罪がある。
たしかに経験した事がある。

けれど、その過去に本当に向き合って、悔いたり、本意ではなかったことを確認したりする事によって、出来事の影響を受けない状態にする事が、人には出来る力が備わっています。

命ある限り、傷ついたらすべてが終わり、という事はないのです。

 

心と身体を大切にすること
  • 心と身体がそろっていて一人の人。
  • 心も身体も、自分の意思を持って与えたい人を選ぶことが出来る。
  • 心から与えたいと思う人に、最高の贈り物をし、最高の贈り物をもらおう。

 

簡単ではありません。

実際に経験した事だからですね。
そして、真っ向から全てと向き合う事になるからです。

「こうであったらいいな」という誤魔化しが、入る余地がなく、本当にこんな事をしてしまった、こんな目に遭ってしまった自分、と向き合わなければならなくなります。

苦しくなります。
涙も流れます。

もちろん逃げれば辛くないですよ!
その代わり何も変わりません。

カウンセリングで行うのは、こういったことです。

一人ではつらい、という意味がお分かり頂けたでしょうか。

弱かったり汚い自分の本心、
してしまったこと、
まっすぐ見ろと言う方が酷なことだってあるはず。

お手伝いが必要なのは、当たり前のようなものです。

一人では難しいというのは、どこかで逃げようとしてしまうからですね。

実は腕の良いカウンセラーというのは、この逃げを、させないという力を持っています。
いつのまにか見るしかない、進むしかない、というところに追い込まれます。

向き合う方は大変だけれど、本当に幸せになってもらう、という大きな目標があるからこそ、やっていることでもあります。

本気で変わりたいという時は、こちらも本気でお手伝いさせて頂きます。

カウンセリングをされるかは、↓こちらの受付ページをご覧になってご検討ください!

パーソナルタイプ診断・カウンセリングご予約、お問い合わせ受付ページ

2017.10.24

2 件のコメント

  • あみさん,素晴らしいサイトです。あみさんの心からの神様へのささげものですね。感動しました。この働きが深く用いられますように

    • サトミさん❤︎

      ありがとうございます!!
      とっても嬉しい(๑>◡<๑) 全部、神様がくれたもの、特に人生経験を活かす働きで、無駄なものはないんだという感謝でいっぱいです! 頑張っていきます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

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