否定は「できる」ようにしないー5歳の女の子に「ゆるして」と書かせていた親

目黒区の5歳の女の子が、両親に虐待された末に亡くなる事件がありました。

女の子は、親に向けて「ゆるしてください」などと書いたノートを残していました。

あまりにも痛ましく、残された文章を読むことすら覚悟が必要な事件です。

通報や一時保護がありながら亡くなってしまった女の子。

このような子どものSOSを聞き取れない社会のままで良いのでしょうか。

もう幼い命は戻りませんが、目を背けずこの事件を通して何かを学ばなければ、どこかの行動を変えなければ、同じことの繰り返しになってしまいます。

この事件から考えられることは何なのでしょうか。

児童相談所同士やと警察の連携といった公的機関の体制不備についてはたくさんの言及があるので、これらとは違う面についてお伝えしたいと思います。

親以外の大人が助けるしかない

女の子は、母親の連れ子でした。
義理の父親との間には別の赤ちゃんがいて、赤ちゃんは両親と共に眠り、女の子は一人で眠らされていたそうです。
朝になれば、自分でかけた目覚ましで起き、外の明かりを頼りにひらがなで文字の練習をさせられていました。
食事はスープや少しのご飯とみそ汁。
家族の外出時は一人でお留守番をさせられ、幼稚園には行っておらず、東京に引っ越して来てからは一度しか外出しなかったそうです。

気に入らない言動があるとしつけとしてベランダに締め出され、冬でも容赦されなかったため足にしもやけを作っていた事までも分かっていて、昨年の2月と5月にも女の子への傷害で父親は逮捕されており、亡くなるまでの長い期間つらい思いをさせられていた状況が伺えます。

生活するとは大変な事で、生きているだけで日々やるべき事がたくさんあるのが人間です。
その全てを監視され、否定され、女の子は、どんな気持ちで一人眠り、起きていたのでしょうか。

辛い家から逃げる力はなかったと思います。
そして、ここ以外の場所で生きられるとも、知らなかったでしょう。

他の大人が助ける以外、自分の力で虐待を受けずに生きる道のない非常に苦しい状況だったのです。

そしてそれはもう、周知の事実、というより、誰にでも分かることだと思います。
だからこそ、女の子の死に際し、個人が救えなかったという感覚を持ち、関わった児童相談所などか非難を浴びているのです。

 

けれど、このような子を一人でも減らすために必要な共通認識でありつつ浸透していない事実はまだあります。

それは、否定・非難が人を「できる」ようにはしない、ということです。

否定は「できる」ようにしない

このような圧倒的に支配的な関係の中、女の子はこのように言葉を残しています。

「きょうよりもっともっとあしたはできるようにする」
「ぜんぜんできてなかったこと〜なおします」
「もっとあしたはできるようにするからもうおねがいゆるして」

女の子が残したメッセージから推察できるのは、女の子が父親から暴行を受けていたのは、何かが出来ないせいだ、怒られるのは足りないせいだ、今のお前ではいけないという否定が理由とされていることです。

「もう あしたはぜったやるんだとおもっていっしょうけんめいやる やるぞ」

それでも、女の子はこうした頑張る気持ちもメモにしていました。

この年代の子は本当に純粋です。
出来ないこともまだたくさんある、だけど、なんでも素直に頑張ります。
大人の言うことを素直に聞き入れます。
そのような年の子が、出来ないと叱責されたなら、自分は出来ていないんだなと、疑いなく思うことでしょう。

けれど、お前は出来ない、というメッセージが人を「できる」ようにする事は、ありません。

この父親が、女の子に「できる」ようになって欲しいと思っていたかは、分かりません。

けれど、このしつけ方で「できる」ようになる事は、あり得なかったのです。

無職の父親は、なぜ否定を選んだのか

親の行動があまりにも酷いので、手放しでただ非難をしたくなってしまいます。

ですが、それでも、やはりその行動をただ非難をする事では何も解決しません

あなたは、とんでもない、してはいけない行動をしてしまった

それは、なぜか?

なぜ、そんな事をしたのですか?

と、問いかけ、本当の理由を聞く事でしか、同じ事件を起こさないための真相にはたどり着けないのです。

 

何がこの親に子どもここまで否定する行動を選ばせたのかー
それを解明しなければ、子どもがらあらゆる形で否定されついには殺される事件は無くならないでしょう。

父親は無職だったということなので、会社に行く義務はなく、行動の選択肢はとても広いはずでした。

その中でよりによって、目の前にいる子どもをとにかく否定し、追い詰め、暴行し殺してしまうという道を選んだ。

行動は、選ばなければ起こりません。

父親は自らこの道を選んだのです。

なぜ、幅広い選択肢のある中でこの道を選んだのかー

結局、この父親がこれまでの人生で受けてきたものも同じ、否定、拒否だったのではないでしょうか。

子どもをこれほどに否定、
殴る事で存在の否定、
子どもらしい生き方を奪うことによる支配ー

徹底的に自分のことを肯定されてきた人のすることではありません。

否定され続けた人が、人を否定するものです。

そもそも父親が否定されずに生きてこれていたら、女の子はここまで否定されなかったはずなのです。

今私たちに出来ること

この父親が実際に否定されてきたかは、上記のように問いかけて本当の理由を聞くまで分かりません。

けれど、否定が人を出来るようにしないことは、分かっています。

今、私たちに出来ることは、児童相談所や救えなかった自分をただ非難することではなく、この父親のような行動を取ってしまう人を減らすことです。

そのために誰にでも出来ることは何か。

自分や目の前にいる人のありのままの姿を、否定しない事です。

出来ない所があってもいい。
それがあなたの本当の姿ならそれでいい。
では、どうしようか。

できることを、伸ばそう。
出来ないことは、出来る人に助けてもらおうー

みんな違うのだから、
助け合って、補い合って、生きて行こうー

そんなメッセージを、目の前の人に送ること。

児童相談所にも、同じような目線を送ること。

そして、出来ない事は認めつつ
では、どうしようかーを、考えること。

完全にならなくても、
できる事を他の機関が補っていけばいいのだから。

そのような価値観が当たり前になっていくことで、やっと、この父親のように、否定ばかりを選ぶ人が減っていくことを、期待出来るようになるわけです。

簡単なようで、難しいけれど、実にシンプルなことを、一人一人が知って、行動を変えていくこと。

それ以外、世界が変わっていく方法はないのです。

そして、変えなければいけない部分があるなら、時間がどんなにかかっても変えなければいけません。

私たちが作るべき社会は、本気で子どもを救うために、非難をせず、出来ないことと出来ることを現実的に見て、変えるべき所を変えるために助け合うようなものではないでしょうか。

 

 

5歳の女の子を親の虐待から救えない社会ー

これ以上変えなければいけないものってありますか?

 

 

出来ないことを、認めるために非常に大切な価値観があります。

それは、どんな行動をしても存在の価値は揺るがないということ。
行動の価値には優劣があります。
けれど、存在の価値は、誰もが同じ重さで、とても尊いのです。

自分の尊さを知ってこそ、出来ない部分に目を背けず向き合うことが出来るようになります。

今ダメな部分があることが、存在価値がないとは、言えないのです。

存在していい。
行動を、変えよう。

人どころか自分を否定してしまう、という方がいましたら、まずはカウンセリングを受けられてみてください。

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2017.10.24

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