

でも期待のしドコロが普通じゃない気がするのにゃ・・・
(※取り上げるのは筆者の好きな作品ばかりであり、製作者様を貶める意図は一切ありません(笑))

約束なんか信じるな!
裏切られれば深く傷つくぞ〜


自分だけでそう思っているだけならまだマシなのですが、人にまでこのように勧めています。
さらに、世界中を自分と同じような目にあわせようとし始めます。
「約束なんか破りまくりのうそばーっかの世界にしてやる!」といって闇を広げていくんです。
傷ついてしまったとはいえ、とんでもない侵害をする存在になってしまったものです。

だから裏切られた時のショックが大きすぎてこうなってしまったのにゃ・・・
かわいそうな気もするのにゃ・・・

でもよく考えてみてくださいね。
相手が、期待していた事をしてくれなかった時…
それはつまり、
相手が、自分の思い通りに動いてくれなかった時、ということになりますね。

そう言われると急に恥ずかしさが出てくるのにゃ…

だからこそ、約束を守ってくれることはとても嬉しいことです。
それこそ当たり前ではなく、大いに喜んでいいことです。
逆に、約束を守ってもらえなければ傷つくのも仕方がありません。
人は、自分は大切な価値ある存在だと心の底では知っているので、それにふさわしい扱いを受けなかった時に傷つくものだからです。
ただ、大事なのはその後なんです。
約束を守ってもらえなかった人は、全員が人を信じられなくなるわけではありませんね。


その後の人生で、同じ状況になることがあった時に、信じられるかどうかも自分次第。
約束を破った人と、新しく知り合った人は違う人です。
だから、いつだって新しく信じることは可能です。
信じないと決定するのも自分です。
相手が自分を裏切ったことに対する報いとして、信じてもらえない人にしてやりたいという理由で、信頼を放棄することはできます。
でも、それを決めたのは自分であって、相手ではありません。
結局は、自分がどう在りたいか、なんです。
相手が裏切ろうと裏切るまいと、自分は信じる者でいたい、という人は信じるのです。
相手が裏切るなら信じるのをやめたい、という人は、相手に合わせて自分の在り方を変えたいのです。
どちらを選ぶのも、自分の意思の問題です。
ウソバーッカさんのように、お前のせいだと言って他者を傷つける存在になることすら選べるんです。
人間の意思って、とても大切なものだって痛感させられますね。

猫は時々今日のオヤツもおかーちゃんに出して欲しい時があったりするのにゃ…

信じるか信じないかは、自分次第。
毎年ペンライトをふりふりしてプリキュアを応援している子どもたち。
いつまで本気でやってくれるのかしら(笑)
来年も期待しています♪
プリキュアの映画を見たのは3回目。
毎回病みキャラがいてくれるので期待していましたが、やはり今回も出てきました!
今日はその中に出てきたセリフをもとに、生き方を考えてみたいと思います。
この調子で毎年頑張って欲しいですね!