「いじめられて苦しい、人が怖い」…あなたは悪くない

学校・会社や組織・家庭・・・

閉じた人間関係を強いられる小さな社会で起こる、いじめ-

いじめとは、社会に属するという人の性質に付け込み行われるため、簡単に逃げ出すことの出来ない被害者の苦しみは非常に大きくなります。
加害者や関係者は、してはいけないことが行われているという自覚があるものの、個人より組織全体の体裁を守る事が優先されるために、当事者たちが属していない外の社会に対しては隠されてしまいがちです。

そのために、被害者が追いつめられて自殺を選ぶ、などの隠しきれない重大な事態が発生するまで対応されないという事が起こってしまうのです。

間違っているのは、いじめる人、一緒になって隠す人、自浄できない構造の社会。

いじめられた人が悪いのではありません。

被害者は、「現実的に」悪くない。加害行為は犯罪

学校でいじめがあり、被害者が日常的に暴力や暴言を受けているとします。

被害者のされていることは、いじめの名を隠れ蓑にした暴行で、名誉毀損です。
外で同じことが起きていたら、当たり前に警察の出番ですね。
親が子供を殴っても、傷害で逮捕されるのです。

それなのに、先生も知っていて通報・通告しないとしたら、処罰の対象になります。公務員には犯罪を放置しない義務があるからです。

いじめ加害者は、社会的に見たら犯罪を行なっています。
ちゃんと第三者が介入したら、いじめられている方は責任を問われない被害者です。
「社会に適応できていない」と収監されるのは、いじめている加害者の側。

まずはその事に気が付いて、自分が受けている行為が異常であることを知ってください。

閉じたところで行われているという理由で放置されているとしたら、社会の方がおかしいのです。

いじめられているあなたがある限り、放っておかれる限り、変わらなければいけないのは、社会の方です。

「いじめられていい人」は、いない

いじめが日常的になったり、いじめの経験があってまた別の場所でいじめられることがあると、自分の方に問題があるのではないかと考えてしまうこともあるかもしれません。

それは、心がつらい状況に適応しようとして、理由を探しているからです。

もちろん、自分の心に本当に素直になれば、「いじめられて当たり前」が違うことに気がつくはずですね。
でも、逃げられないという時、人は自分を守ろうとして、心を鈍感にして慣れようとします。
まっすぐから傷つき続けていると、耐えられないからです。
心はそのようにして、辛すぎることから頑張って自分を守っています。

それを続けていると、だんだんと自分が何をしているのか、何が好きなのかということに対しても、鈍感になっていきます。心が疲れ切って、身体にも影響を及ぼすことすら有り得ます。生きる活力を奪われてしまうのです。

加害者は、弱さという万人共通の個性を利用し被害者を心身両面から責め立てます。

弱いところや苦手なことは、誰にでもあるのです。

弱さは、人が心を配ってもらうためにあるもの。
強さは、他者の弱い部分を助けるためにあるもの。

物事の扱い方を間違えているのは、いじめている側です。
してはいけない事をしたのは、いじめられている側ではありません。

「いじめられていい人」はいません。

「いじめられることを当たり前として受け入れてしまう人」がいるだけです。

いじめられないための近道は、自分への価値観を修正することです。

このような時には、今自分をいじめる人が悪いのだという認識を持ちましょう。

いじめる人たちの影響を受けて生活に困難を覚えているのは、そのままにしていいはずがありません。
身体にも影響があるのは、心が本当に疲れてしまっているからです。
それほどの状態は、当たり前ではありません。

本当は、誰にもいじめられることなく、自分のやりたいことをしたり、自分の好きな人と好きなことを楽しむのが人生です。

そのためには、いじめた人や、いじめる人との関係や影響を断つのが一番です。

そして、いじめられてばかりの自分、というものからも解放されることが出来るようにしたいですね。

まずは、自分という人間はいじめられていいはずはないと、しっかり認識するところから始められてみてください。

世界に、あなたの居場所は、必ずある

もしいじめられていて、誰も助けてくれないとしたら、そこを自分の居場所だと思う必要はありません。
今居る場所だけが、世界の全てではないのです。

そして、広い世界にはいじめる人と、いじめない人が居ることも知っていただきたいのです。
いじめる人ばかりの世界ではないと分かれば、そのような人との関係を築けるし、人が怖いのではなく、嫌な人もいるけどいい人もいる、と思えるようになるはずです。

どうしても逃げ出すことが出来ないという時、

被害者に出来ることは、一緒になっていじめを隠さないことです。

誰かが犠牲になってまで、守らなければならない組織の体裁というものはありません。

組織に命はありませんし、代えがきくものです。
けれど人の命に代えられるものはありません。

自分が悪いのではないか、自分さえ我慢すればなんとかなるのではないかと思うあまり、命の無いもののために命を傷つけるようなことは、あってはならないのです。

自分を大切にしましょう。

それは、巡り巡って、組織という全体を良くすることにもつながっていくのです。

 

いじめられてつらい時は
  • 悪いのは、常に加害者であることを見失わない。
  • 被害者が一緒になっていじめを隠匿しない。外の社会に向けて声を上げる。
  • 命のない組織のために、たった一つの命を持つ自分を犠牲にしない。

 

いじめ体質?いじめられ体質?

いじめる側の事情、や、いじめられる側の原因について、よく議論されますね。

いじめる側も問題を抱えているためにいじめてしまうのだから被害者である、という論調で加害者を過度にかばうことは避けなければなりません。

問題を抱えているから悪くないのではなく、行動を評価していく必要があります。

「加害行動」は、してはいけないことです。

けれど、「加害者自身」が傷ついていることも、見過ごしてはいけないことです。適切に癒されて、他者を傷つけることから解放されなければなりません。

いじめられる側は、「自分は価値がない」または、「自分はいじめられるような存在である」と、思い込んでいる可能性があります。

自分がされている許容できないことについて、何とか納得するために、そのような思い込みをすることにより、心が自分を守ろうとしています。

こちらも、認識を変えていくことと、過度に傷つかないことに配慮しながら、少しずつ自分を優先していくことを覚える必要があります。

カウンセリングでは、詳しい状況や苦しいことをお聞きしながら、なぜ今の状況を招いているのか、悪いのは誰のどの部分なのか、カウンセラーの目線から細かく解体して、必要な対応策を探っていきます。

ただお話を聞くことも可能です(^_^)

辛すぎる時は、一人で悩まず、ご相談されてみてくださいね。

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2017.10.24

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